施設施錠を考える

 「ここは牢獄よ!」
ある入居者さんが言い放ちました。

 私達は支援の中で、なるべく行動制限をしないように、なるべくその人らしい姿に近づけるように、なるべく…、よく使う言葉で自分たちを正当化しているのかもしれません。

「なるべく」とはどうゆうことか、意味的には「可能な限り」とか「可能な範囲内での最大を目指す」と言う意味があるらしい、つまり可能でない事、出来ない事は「なるべく」の範疇には無い。
 では何が可能で、何が不可能なのかを誰が決めるのだろうか、職員?入居者?家族?法令??
 私達は暮らしの中で、他者から可能・不可能を決められ、何かを制限されたり、諭されたりする場面は、そうそう無いですよね。
 だから僕自身も、自宅から出掛ける時に、家族や他者によって外から施錠をされ、「出られない」ということも無い。

 施設の中にはまだまだ施錠されている箇所があり、また外へ行くことへの対応が図れていない場面が多く、入居者の意思と比べ、施設として応じられないことが沢山あり、入居者にとっては「牢獄」と変わらない暮らしを強いていることを自覚しなくてはいけない。
 
 そして我々は、可能な限りの専門職が応じるからこそ出来る「可能」の枠を増やし、1人より2人、1部署より、施設全体で取り組む事で、より不可能を可能にしていく。そして、地域全体で取り組む事ができれば、施設の外へ自由に出られるということにも、応じていけることでしょう。
 それでも入居者の意思の全てには叶えられない事があるかと思います。それでも、1つずつ「応じられる」に近づく為に、取組みを進めていく事が大切ではないでしょうか、、、

 そして、越谷なごみの郷では、そんな同じ想いを持った有志による「OPEN会議」という素敵な集まりがあり、毎月ああでもない、こうでもないと、不可能を可能にする為の話し合いをしています。

施設サービス課係長 閏間