「看取り」

 100歳を超えるOさんは現在「看取り介護」を継続中です。看取り介護を開始してから4カ月が経とうとしていますが、現在は食事も良く食べ、自分の意思もハッキリ伝えられ、元気に話す姿を見ていると、看取り介護中であること、100歳を超える年齢であることを忘れそうになることもあります。

 そんな最中、「入院中のSさんが今朝亡くなりました」と訃報を聞き、驚きとともに、その事を職員に伝えると、皆一様にショックと哀しみを感じてました。それは入院前のSさんの元気な姿があったからでもあると思う。

 看取り介護には、終末期の介護について、「尊厳に十分配慮しながら、その人らしく生活できるように日々の暮らしを営めるようにケアを行う」ということが、ある程度明確になっており、より意識的にそれが取り組まれる。

 しかしケアに関する考え方は、看取りの方であろうと、そうでない方でも同じ環境下にあり、今回のように、いつ亡くなるとも分からない点では、全ての方に対して、より意識的な対応を図るべきであり、終末期と呼ばれる時期であると認識する方が自然なのかもしれない。

 看取り介護は、入居者・家族にとって大切な選択肢の一つであることは間違いなく、それを提供できるように挑む施設と職員を誇りに思う。そしてそこには携わる全ての方の協力がなくては出来ないことという意味では特別なことではあるけれども、その一方でも、施設で暮らす全ての高齢者のケアも同様に意識していかなくてはいけない。

 そんな当たり前のことを、Sさんのお通夜に参列した帰りに考えさせられ、施設の中にいる事で薄れてしまっている「普通」の感覚の大切さをみんなと考えていきたい。

 閏間 順哉

untitled施設の庭に生えてきた筍

忘れごと

 

今日、2Fにあるデイサービスの高齢者が職員と共に1F事務所の電話を借りにきました。高齢者は少し険しい表情にも見え、また困っているようにも見えた。

 

職員は電話の使い方を説明し、本人は受話器をとり自宅にダイヤルを回し、電話が繋がる。

 

その話の内容から、本人が電話をしていた理由がわかった。どうやら戸棚にしまっておいたお菓子を忘れたことを伝えたかったようだ。用件を伝えると本人は安心したようで「はぁ~良かったわぁ」と表情が和らぎ電話をおき、2Fのデイサービスに戻っていった。

 

なんてことない風景にも見えるが、本人が不安に思っている忘れごとを職員が真摯に受け止め応じている姿が何だか嬉しかった。

 

今、家には誰もいないから。電話が壊れているから。こちらで伝えておくので。といったように、本人の不安に共感を見せかけて、ごまかそうとするのではなく、本人が不安と思う事に同じ目線で物事を考えて上げられるからこそ、出来た考動だと思う。

 

もちろん、家族の事情などにより、必ずしも電話を繋げたことが手立てとして正しいかどうかは解らない。他にも専門職だからこそ応じられる事があるかも知れない。しかし、そんな追求をしていく大前提には、「自分達が困らぬように」ではなく、「本人の困っている事に支えとなりたい」という姿が大切なんでしょうね。

施設長 八幡 雅冬

untitled

 

 

新たなる仲間との育み

はじめまして、施設長の八幡です。このたび、ホームページが新しくなりました。以前から、「ホームページを楽しみにしている」という声もあり、そんな期待に応えまして、ブログページを設けることにしました。このブログでは、奮闘する職員の姿や、制度に阻まれる葛藤、そして高齢者の活きて生きる素敵な姿など、「越谷なごみの郷」の日常を伝えていけたらと思います。どうぞ、宜しくお願い致します。

【新たなる仲間との育み】

 ホームページも新設されましたが、同じく4月1日より平成26年度新卒職員9名が仲間となりました。

先日まで学生だった新卒職員達は、将来への夢に満ちた希望と職業人(社会人)としての第一歩に不安を抱きながらも、今日までを元気ハツラツに過ごしています。

 そんな新卒職員達にはまず、世の中に数ある職種の中から、介護業界を選択し、歩みはじめてくれたことを心から感謝します。

  さて、どの法人でもこの時期には、新卒研修を取り入れている事かと思いますが、エンゼル福祉会越谷なごみの郷では「育て・育み合う」ことを研修のテーマとして取り入れています。

これは研修のカリキュラムではなく、研修を行う側の姿勢を追求し高めること。

「育てる」と聞くと、育てる側が上の立場にあり、育てられる側が下の立場であるように捉えがちですが、子供を育てるときに、「育ててあげている」とは考えづらいものです。また植物を育てるときにも、そこに上下の意識は持ちません。

つまり、「育ててあげてる」とは思わないでしょうし、「育てる」ことへの「やらされ感」ではなく、将来に向かっての「期待感」や関わることへの「義務感」を高め、前進させていくものだと思うのです。

 また子供や植物を育てるときには、「育てる側」も教え導きながら、自らも学ぶことがあったり、初心に帰ることが出来たりと気付けることも沢山あるものです。こうしたことにも意識を向けると、学べたことは「あなたがいたおかげで」という、関われた事へ、また関わった相手に対して感謝の念が生まれるものです。

  研修は将来への投資です。教える側も教わる側も、将来「教えたこと」が「出来るようになる事」がゴールではなく、「教わった側」が将来「教えられる側」になる所まで成長出来ることを求めて(期待し)、双方に関わりを深め成長していく。その長く見えるようで短いレールのなかで、常に双方が前進していける姿が、長く働き続ける糧となり、その仲間達が目の前の高齢者の生きる姿を、より私たちの生活に近づけていける術を進化させてくれるのだと。つまり、質を高めていくには、技術を覚えることではなく、共に「育て・育み合える」環境を築くこと。私達の施設では、まずこれらを第一に考えています。

  施設長 八幡