最近、さまざまな企業や団体が「接遇」と呼ばれる、接客業務時における接客スキルの教育に力をいれていますが、僕達の仕事にとって必要な「接遇」とはなんだろうか?
企業や団体にとってのクレームの7割は人的によるクレーム。すなわち接客時における何らかの不作法が原因であり、素晴らしい商品やおいしい食事が提供されたとあっても、それらは大きな損失を招きかねないといわれています。
そのような要因が「接遇」のブームに火をつけているのかも。
そんなことを振り返り考えていると、こんな事が頭に浮かびました。
「これって、利用者さんがここを気にいらへんかったら来んでもええってコト?」(大阪弁(笑))
私たちのケア技術や接し方がもしその利用者さんに受け入れてもらえなかったら、ここに来ない。辞めてしまう。というコトが考えられ、本来介護保険の基本方針で求められている、「本人の状態の維持・改善」や「家族の負担軽減」といった僕達の役割は果たせないし、利用者本位ともかけ離れてしまう。
デイサービスを利用継続することで利用者さんの在宅生活が継続出来るように支援するには、入口である「接遇」の技術も必要だというコトを意識するようになりました。
接遇とは、五輪招致でも有名になりました「お・も・て・な・し」のコトです。
「おもてなし」と聞くと、何でもかんでも利用者さんの為に尽くせばいいと考えてしまい、結果その方の出来ることまで奪ってしまうということが想像できますが、そうではありません。
飲食店でウエイターが水やおしぼりを持ってくるのがサービス。おしぼりを渡す際に「お仕事お疲れ様です」と一言かけて渡すのが「おもてなし」です。すなわち想定内のことは「サービス」で、想定していない、人を気遣った言動や行動が「おもてなし」。だとすると、そんな言動や行動がどの位出来ているだろうか。
些細な一言なのですが、この瞬間に言われた側はとても感動し、一瞬にして心を開くのでしょう。「おもてなし」⇒「ココロの交流」が接遇のゴールでもあるわけです。
私たち介護職が「おもてなし」を実践することにより、利用者さんが「ココロを開いてくれる」それが「ココロの交流」となり、最終的にはお互いに大きな信頼関係が構築され、自立支援の実践が出来るのだと考えます。
つまり「自分のことは自分で出来るように」という「自立支援」とは、決して「させる」ことではなく、接遇の延長線上に本人が「したくなる」「望む」という主体が生まれていることが大切なことなのでは。
「楽しみにしてもらう」「楽しんでいただく」「笑顔で帰っていただく」=「喜」「嬉」ということには、受動的なものではなく、本人が「なごみの郷デイサービス」だからこそ「叶う」、「なごみの郷デイサービスの専門職員」だから「求めたくなる」、そんな関わりを築き、応援していきたい。
これらを実現するためにも、一人ひとりの望んでらっしゃること、不満に思ってらっしゃること、満足してらっしゃることを日々のケアから見極め、会話し、心の声に気づける専門職の集団を目指している今日このごろ。
松久晋也
先日越谷なごみの郷のショートステイ利用者さんと職員で、川口グリーンセンターへ1日外出をしてきました。
初夏でありながら日差しがたっぷりな暑い1日。
皆さん夏着でちょっぴりおしゃれをし、しっかり帽子をかぶった装いでいざバスへ乗り込み、たくさんの職員に見送られ、出かけていく利用者さんたちの笑顔はとっても素敵でした。グリーンセンターに着くとたくさんの自然に囲まれながらセンター内散策をし、おいしいお弁当をほおばり、利用者さんからは「楽しい。」「また来たい。」「次はどこに連れて行ってくれるの?」などうれしいお言葉を沢山いただきました。
普段在宅生活を送っている利用者さんはなかなか遠出をする機会が少なくなってしまうのが現状で、連れて行きたくても仕事があってなかなか…とご家族の方々からよく伺います。でも利用者さんだって時々おしゃれをしてお出かけしたいですよね。
そんな利用者さんやご家族の思いをなごみの郷のショートステイは出来る限り応援し、「どこに連れて行ってくれるの?」という楽しみと同時に、「どこどこへ行きたいわ!」という利用者主体の喜びを目指しています。そこには私たち職員の利用者さんの素敵な笑顔と、自ら願うことが叶う喜びをたくさん届けたい!という思いでもあるからです。
皆さん、次はどこに行きましょうか?
沢山いい思い出作りましょうね(^-^)
中山 奈美
今年新卒で入社した職員は、平成3年生まれ(大卒)から平成7年生まれ(高卒)・・・。
昭和の半ば生まれの私は、この新卒達の親より10歳以上年上になる・・・。
私たちの目の前にいる高齢者は大正~昭和初期生まれの80代・・・。
この若者たちが、70年も前に生まれた高齢者を支援・介護していくということには、時にジェネレーションギャップを感じさせることも起きることがある。
(シーン1)入居者が熱をだした。
平成生まれの介護職員→水枕の指示を出されたが、水枕の作り方が分からなかった。それは、先輩職員が手取り足とり教えるけれど、使い終わった氷枕を片づけてくれたと思いきや、翌日、冷凍庫の中からカチコチに凍った水枕が出てきてびっくり!
確かに、平成生まれは「アイスノン」という冷凍庫で凍らせて使う物しか知らないのである。
(シーン2) ショートステイの利用者が、「雨が降ってきたけど、「こうもり」を忘れて来ちゃったよ」
平成生まれの介護職員→「○○さん、コウモリ飼っているんですか?」
「こうもり」と「コウモリ」・・・傘なんですけど・・・(笑)
(シーン3)介護記録にまつわる話
介護職員はケア状況を記録に残すことが求められるが、その記録を読んでいると時に誤字を発見した。
「AM2:00ラウンドすると良く眠られているが発汁+更衣交換す」
→発汁はもしかして発汗の間違い?!(笑)
現代では、パソコンやメールの文化となって圧倒的に「字」を書くことが少なくなったことによるものかも知れません。
私と新卒職員、30年~40年の違いで、これだけ習慣や暮らしに違いが出ているということは、高齢者からしてみたら30年以上の年の差がある私自身の行動にも、おかしな事が起こり得ているかも知れない。
人の振り見て、我がふり直せ!何はともあれ、仕事は楽しく笑顔でがモットーのなごみの郷です(^^♪
橋本 かおり
日頃当たり前に交わされていた入居者Aさんとの挨拶の言葉に疑問を感じた。
以前までは(いつ頃までだったかさだかではないが…)、「おはようございます」と交わしていた挨拶が、いつの間にか「グッドモーニング」にかわっていたからだ。
これは、職員から発されるようになったのではなく、知らず知らずの間に入居者Aさんから発されるようになっていたのですが、「知らず知らずの間」というのは、僕達の仕事に対する怠慢かも知れない。だって「おはようございます」から「グッドモーニング」というのは、誰がどう聞いても明らかな入居者Aさんの変化であるのに、いつからかなのかは僕自身、不明確な認識であったからだ。
よく新人職員が入社したときには「おはようございます」だった挨拶が、半年くらい経つと「おはよう」となっていることがある。このとき、「どうして?」と尋ねると多くは、「関係性が築けてきたので」と言うが、一体誰が、何をもって「関係性を築けた」かを確認すると、自分の主観でその関係性に根拠はないことがある。つまり、入居者が「あんたとは関係性が築けたから挨拶は「おはよう」にしよう」と言われた訳では無いということである。
また介護保険法の「尊厳の保持」と標された文言を追求していくと、僕達から発される「おはよう」はいかがなものだろうかとも思う。例えば学生時代にお世話になった恩師と、卒業後の交流を通じて関係性が深まったとしても、僕らはその恩師への挨拶に「おはよう」とは言わないのに、高齢者への「おはよう」は…。
そんなことを考えながらも、このAさんの言動について色々考え、調べてみると、どの職員に対しても「グッドモーニング」ではなく、他フロアの職員など馴染みの薄い職員の方には今でも「おはようございます」であることがわかった。
特にAさんに特別なことをしてきた訳ではないが、毎日顔を合わせて、挨拶を交わし、天気のことやら何気ない会話の中でAさん自身がそんな当たり前のささやかな日常から、日々接する職員との関わりに「グッドモーニング」という言葉を用いて、より良い関係を構築しようとしているのかも知れないと感じるようにもなった。そうした時間は僕達にとっては、特別なこととして捉えていなかった事も、入居者にとっては大切な大切な一場面であり、それを感じているからこそ馴染み深い職員へは「グッドモーニング」と明るく関わりを創り出してくれているのかも知れない。
僕達からみたときのごく当たり前の関わりは、そんな一場面をどこまで重要視しして関わってきただろうか。入居者Aさんの「グッドモーニング」の挨拶に、僕達はどう応じていくべきかは、未だ葛藤中ではあるが、専門職としてそんな些細な日常や、些細な言葉を追求していきたい。
本来、僕達が入居者の方々に元気を提供しなくてはならないのですが、毎朝この入居者Aさんの「グッドモーニング」の挨拶に、元気を頂いていることに感謝します。ありがとう御座います。
村上 晃史