最後の晩餐

皆さんは、友達や同僚と「最後の晩餐だったら何が食べたい?」などと話したことはありませんか?
そして「最高においしいお寿司」「ハンバーグ」「お母さんの」など大好きな物や、「卵かけごはん」「お母さんの作ったみそ汁」など馴染み深い食べ物をあげて、笑い合う。
よくあることでしょう?!

 ・・・けれど、それは元気で、その問題が切実でないときだからできる話、かもしれません。

実は、先日、「最後の晩餐」について考えさせられる出来事がありました。
10年前から当施設のデイサービスとショートステイを利用されていた方が、数年前から地域密着型特養に入所され、それでも変わらずお元気に毎日を送られていました。
体は小さく、体重も30㎏も無い、お食事も少なめですが、自分で召し上がって穏やかに暮らしておられたTさん。
その日も昼食を自分のペースで召し上がり、お茶をいつも通り、飲んで、トイレに行き、便座に座った状態で心停止しているところを職員が発見しました。
高齢であることと、食の細さから、予後を予測し看取りも想定して行かなければと、話していた矢先の出来事でした。
全く、いつもの変わらない日常が、その日のお昼ご飯が、最後となりました。
(メニューは、ご飯・味噌汁・白身魚のフライ・ほうれん草のお浸し・果物)
まさしく、「ぴんぴんころり」の死に様でした。

本来、「口からおいしく食べること」は生きていく上でとても大切な生活の営みの一つで、見た目や味、嗜好が叶う食事ができることは滋養になり大きな楽しみになるので、要介護者や闘病中の人にこそ、食べたい物を食べて元気を養ってほしいし、終末期の人には食に関する希望に応えてあげたいものですが、食事を摂ることが“大変なこと”になってしまうケースは多いのです。

人生の最後が、いつなのか・・・誰にも分りません。
「ぴんぴんころり」を希望する大方の人は、最後の晩餐の希望を話すことができますが、「最後の晩餐」とやらは希望通りには行かないということです。
逆に、闘病中の方の方が、希望するものでなくても「これが最後の食事かも・・・」くらいは感じる事ができるかもしれませんね。
そう考えると「最後の晩餐」とは、亡くなった後に残された者が口にする言葉なんですね。

当施設は、常に質素な朝食が・・・又は、夕食が・・・1か月のメニューのどれもが、最後の晩餐になることが考えられます。だから、私たちは、日々のご飯一食一食が「おいしかった!」という言葉で終われるようにありたいと思っています。

施設長 橋本かおり